はじめに
この記事では、大学で良い成績を安定して取るコツを説明します。
- GPAが必要な事情があるが、なるべく短い時間で成果を挙げたい
- 努力をしたにも関わらず、最高評価にならない時がある
- 頼りになる友達や先輩がいない
といった人を対象にしています。
まず、本稿では、基本方針となる考え方を説明したうえで、その理由を大学の成績評価のシステムと絡めて説明します。このセクションの内容はほとんどの分野・形態の授業において共通しています。ただし、例外もあるので、それはこのセクションの末尾で補論として述べます。
次に、各論として、具体的方法を述べます。これは私の個人的経験によるところが大きく、各々の専門分野・能力によってやり方が変わる可能性があります。あくまで参考ということです。
最後に注意書きですが、少ない労力で好成績を取る方法と、少ない労力で単位を取る方法は大きく異なります。ここでは、好成績を取る方法のみを説明しています。
基本方針
結論
以下を徹底することが、良い成績を安定して取る上で最重要です。
①授業内容を理解する
②試験・レポート等における教員の要求を理解する
特に声を大にして言いたいのは、「授業に出ろ」ということです。授業が分かりにくくても、つまらなくても、①②を達成するには、授業に出る必要があります。これを理解してもらった時点で、この記事の目的の6割は達成されたと言えるでしょう。
加えて強調しておきたいのは、たとえそれが一般的な勉強法としては正しくても、上記にそぐわないアプローチに依存することは、成績を下げるリスクを高めるという点です。要するに、授業への出席以外の方法に頼りすぎない方が良いということです。
理由
それでは、なぜこのような結論になるのでしょうか。なぜこれ以外のアプローチが否定されるのでしょうか。その理由は、大学の成績評価のシステムにあります。それには、以下の特徴があります。
・教員個人に絶大な裁量が認められている
・相対評価の側面がある。
それぞれの特徴から、何が言えるのかを以下で説明します。
教員の裁量が大きいと何が言えるのか
それは、授業で教員から提供される情報が絶対的な価値を持つということを意味します。逆に、教員以外から発せられる情報は信ぴょう性が低くなります。極端なことを言えば、世間が白ということでも、教員が黒といえば黒になるわけです。また、専門的な議論には有力な学説が複数存在することも珍しくないので、授業においてどの説が正統なのかは、教員の話を聞いてみないと分からないでしょう。
さらに言えば、過去に教員が書籍に記した内容であっても、現在は考えが変わっており、授業内容にはそぐわない可能性があります。
したがって、その教員の授業が唯一信頼のおける情報源ということになります。
相対評価が行われると何が言えるのか
一般的には、誰に最上の成績を与えるのかについては相対評価になりがちです。大学によっては「上位20%までにA評価を与えられる」といった形で人数に制限を設けているところも多いです。そうなると、他人との差別化が必要になります。
他人との差別化をする際に気を付けたいのが、無理に「加点」を狙わなくて良いということです。例えば、(求められていない限り)定説をひっくり返すような独創的な意見を考える必要はありません。
むしろ、重要なのは、減点されないことです。テストやレポートにおいて、大半の人は何らかの不備を抱えているので、明白なミスがないだけで上位10%には入れます。10%というのはかなりアバウトな見立てですが、要するに、それだけで最高評価の定員の中に入り込めるということです。
明白なミスとは何か
それでは、ここでの「明白なミス」というのはどのようなものでしょうか。具体的には以下のように大別できます。
・不正確な情報の記載
・要求された情報の不記載
・形式上の不備
このうち、不正確な情報を書いてしまうということは、授業内容の理解が足りていないことを意味しています。要求された情報の不記載や形式上の不備は、教員の要求を理解できていないことを意味しています。つまり、授業内容や教員の意図を理解できていないためにミスが生じているということです。
なお、「要求された情報の不記載」というのは広い意味で捉える必要があります。つまり、問題文に「○○について書きなさい」と明示的に書いていなかったとしても、「この講義を聞いた学生ならば答案で○○について触れてくれるだろう」という文面の背後にある教員の意図を読み取れていなければ、これも「要求された情報の不記載」と言えます。例えば、「自由に意見を述べなさい」という問題で独自性の高い意見を展開した答案があったとき、それが全く授業内容に触れていないと、こうした問題文の裏にある意図を読み取れていないとみなされるリスクが生じます。
まとめ
ここまでで確認した内容をまとめます。
- まず、大学の試験・レポート等においては、明白なミスがなければ、ほぼ確実に高評価を得ることが出来る。
- その「明白なミス」は、授業内容や教員の要求に対する理解不足によって生じる。
- それを踏まえると、授業に全て出席し、そこで提供される情報を理解することが、最も確実に好成績を取る方法ということになる。
補論1:なぜ他の方法がいけないのか
例えば、授業に出ずに以下に情報を依存することは、好成績を取る可能性を下げます。
・書籍
・友人や先輩
・関連科目の知識
理由・補足事項を一つずつ説明します。
・書籍
概説書で勉強するということ自体はその学問に対する理解度を高めるための勉強法としては正しく、授業の内容理解の一助とする形での利用であれば大いに推奨されます。しかし、それのみを使って勉強をすることは避けた方が良いと考えます。
なぜならば、その本が授業内容を網羅しているとは限らない上に、内容が教員の見解と一致している保証もないからです。
また、一冊の教科書に基づいて授業が行われることもありますが、その場合でも本の内容を全て暗記することは現実的ではないため、教科書のどの部分の理解が求められているのかを明らかにすべく、授業内容を理解しようと努めることは必須のタスクになると考えます。
・友人や先輩
友人や先輩から勉強を教えてもらうということもあると思います。もちろん、そうした情報は、自身がきちんとそれ以外の手段で情報を得た上で、一つの参考意見として気に留めておくのは良いと思います。しかし、それだけを情報源にするのはリスクが高すぎます。結局は個人のバイアスがかかった情報なので、確実性に欠けるためです。
例えば、他人の授業ノートを見せてもらうケースを考えましょう。その人が授業の情報を完全に網羅しているとは限りません。普通の人は情報を聞き洩らしていたり誤解していたりするでしょうし、例え完璧に授業を理解している優秀な人であっても、その人にとって自明の事柄はノートにわざわざ書かれないという点で、あなたにとって十分な情報が書かれているとは限りません。
・関連科目の知識
自分に適性があると思って受けた授業でやりがちです。例えば、国際政治学の授業を受けたことがあるからと言って、国際政治史の授業を出席せずに乗り切ろうしたり、西洋史のレポートを書くときに、受験世界史の知識を使おうとしたりといったことを指します。
概説書と同様、関連科目の知識は授業理解に役立ちますが、強調したいポイント、用語の用法、学説など細かい点において異なっていることも往々にしてあるので、検証せずにそのまま知識を使うのは危険です。
補論2:授業を選ぶ必要はあるのか
上の内容はほとんどの授業に適用できるため、成績のために授業を選ぶ必要は基本的にはありません。
そもそも、「楽単」と呼ばれる授業でも他者との差別化が難しくて高評価になりにくいこともありますし、逆に「鬼単」と呼ばれる授業でもきちんと取り組んでいれば評価されたりするので、成績を取りやすい授業かどうかを吟味するのは難易度が高いです。
ただし、以下に挙げるごく一部の例外的な授業は履修を避けた方が良いです(興味があっても聴講しましょう)。
・最高評価の判定が極端に辛い教員の授業
試験講評や成績分布のデータなどが公開されていれば、履修前に参照して最高評価が一定数出ていることを確認しておくと良いでしょう。
・過去問をそのまま使いまわし、100%試験で評価する授業
過去問を手に入れられるアテがあるならば、履修を検討しても良いでしょう。
・そのほか、ヤバそうな授業全般
シラバスやネット・知人のうわさなどで尋常ではない成績評価の方法を取っていることが確認できる授業は、履修を考え直した方が良いでしょう。
具体的方法
⓪基礎的な能力を身につける方法
ここまで触れてこなかった論点として、授業内容以前に基礎的なミスによって減点される可能性というのもあります。基礎的なミスには、以下のようなものがあります。
・提出期限の遅延
・日本語の乱れ
・明白な矛盾
それらの原因としては、スケジュール管理の甘さ、文章力の不足、認知のゆがみ、見直し不足などが挙げられます。特にレポートではこういった部分で差がつくことが多いと思います。まずは、これらの対策を説明します。
・スケジュール管理を徹底する
試験やレポートについては、計画を事前に立てること、リマインダーを3段階くらいに分けて設定することで勉強不足やミスを予防することが可能です。
例えば、レポートの見直しが不足するのも、期限ギリギリに課題に取り組んでいるせいでそもそも見直す時間が無いことが原因であると考えられるので、数日前に一通り書き終えられるように計画を立てれば予防できます。
・文章力を身につける
ここで言う文章力とは、魅力的な文章を書く力ではなく、論理的な文章を書く力を指します。文章の書き方の本は世に大量に出回っているのでそれらを読むのも悪くないですが、文章を書く経験を積むことと、自分の文章を何度も見直すことが最も大切だと個人的には思います。
また、基本的には文章の評価というのは減点法なので、奇抜なレトリックなどの「大技」を狙わずに、明白な文法的ミスや誤字脱字を無くすことを意識し、堅実な文章を書くことが重要だと考えます。
・論法を知る
文章力とやや重複しますが、議論の型やよくある詭弁の実例を知ることで、答案やレポートの根幹に関わるような論理的なミスを犯すことを予防することができるでしょう。これらは書籍から学ぶことを推奨します。例えば、以下の本など。
議論入門: 負けないための5つの技術 (ちくま学芸文庫 コ 45-1) | 香西 秀信 |本 | 通販 | Amazon
高校数学に苦手意識がある人は、教科書の「集合と論理」のチャプターを復習することも有効だと思います。
①授業内容を理解する方法
・授業に毎回出る
上述のように、成績を取るという観点では授業は最も信頼のおける情報源なので、出席が成績評価と無関係であったとしても極力出た方が良いでしょう。
また、かりに授業で全く触れられていない情報が試験で問われた場合でも、それは応用力や思考力を試す意図で出題されている可能性が高く、試験中にそういった作題意図や難易度の見極めができるようになるのも授業出席のメリットと言えます。
・道具を積極的に活用する。
重要なのは、授業で話された情報を後で全て確認できるようにすることです。
まず、手書きよりもタイピングの方が圧倒的に情報の記録効率が良いので、ノートパソコンを使うことはほぼ必須と思われます。
さらに、大学のルールに抵触しない範囲で、という前提はありますが、ボイスレコーダーなどを使うとより確実に記録が取れると思います。
・前方で授業を受ける
人によるとは思いますが、前に座った方が集中できる分、記憶が定着しやすくなり、復習の手間が減ることが期待できます。前に座っても後ろに座っても授業時間は変わらないので、こういったところで効率化を図ることが重要だと個人的には思います。また、教員に質問をしやすくなるというメリットもあります。
・教員に不明点を聞く
現実には授業を一発で理解できないことも多々あると思いますが、その場合にも前述のように知り合いに授業の不明点を聞くことはあまりおすすめしません。教員に聞くのが最も確実であると思います。
なお、質問内容が複雑な場合には、メールなど文面で問い合わせると伝わりやすく、かつ思考を整理しやすくなると思います。
・試験勉強用のノートを作ってそれで勉強する
知識として知っていることと、知識を答案で使いこなせるようになることとの間には溝があります。その溝を埋めるための取り組みです。
例えば、ドイツ語の文章を和訳する授業であれば、ドイツ語の文章を書いた箇所とその和訳・語注・文法解説を書いた箇所とを切り離したノートを作り、前者を見ただけで後者が思い浮かぶように訓練するといった対策が考えられます。
また、ノートの再編集の作業自体が不明な点の洗い出しや知識の記憶に役立ちます。したがって、かりにレジュメが充実している授業だったとしても、自分で要点をまとめ直した方が、試験で適切な解答を出力できる可能性が上がると思います。
②教員の要求を理解する方法
基本的には①と同じですが、それだけでは不十分なケースがあるため、追加の対策を説明します。
まず、注意して欲しいのは、「教員の要求を理解する努力」というのは試験の問題文やレポートの告知文をしっかり読むだけでは不十分なケースもしばしばあるということです。なぜならば、教員の作題能力が足りないことなどにより、問題文からだけでは解答すべき内容が一意に定まらないことがあるからです。あえて問題文をぼかしていることもあります。
例えば、「Aについて論じなさい」という問題があったとして、それをどの深度まで、どの観点で説明すれば良いのかを判断するには、日常の授業で与えらえた情報が手がかりとなるでしょう。
いずれにせよ、授業の情報が最重要ということは変わらないのですが、それに基づく考察を補助するような形で、外部的な資料が役に立つこともあります。ここでは、それらの活用を中心に説明します。
・取ろうとしている授業の試験の講評を読む
試験の講評は採点基準や答案の差がつくポイントを指摘していることが多く、同じ問題が出なかったとしても教員の作問・評価のクセのようなものを掴む上では大いに参考になります。
講評がオープンに公開されている場合でも、いつの間にか消えていることもあるので、確認できた段階で何らかの手段で保存しておくと良いでしょう。
・教員が書いた文献や授業で紹介された文献を読む
先述のように優先順位としては授業内容それ自体を理解することの方が上ですが、補助的に関連する文献を読むことはもちろん有効です。参考文献は教員によっては何十冊も挙げてくることがあるので、全てを読むことは難しいと思いますが、教員が書いた本や論文の中に講義の内容に近いものがあれば、優先的に目を通すことをおすすめします。
ただし、文献の発行年が古い場合には、情報が古かったり、教員の考えも変わっていたりする可能性があるので注意が必要です。
・問題文を整理する
これは論述式の試験全般のテクニックですが、問われている条件が複数ある場合には、それらを腑分けした上で以下のような簡易的な碁盤の目状の表を作成すると、設問要求に合致した答案を作れる可能性が高まります。
要求① | 要求② | |
---|---|---|
観点① | 要素① | 要素② |
観点② | 要素③ | 要素④ |
Q&A
ここに書かれていることを全て実行する必要はあるのか?時間がかかりすぎではないか?
→全てを実行する必要はないですが、授業に出ることだけは基本的に必要です。また、1年生や2年生の時になるべく多くを実行して地力を上げておくと、その後は短い時間でレポート執筆や試験対策が済むようになります。
オンデマンドで資料を配布するタイプの授業はどうすれば良いのか
→ここでも考え方は同じで、資料の情報を理解した上で粗の無い提出物を作成するしかないと思います。
授業に出なくても高評価を取れたことがある。授業への出席は好成績を取るうえで必須ではないのでは?
→それはたまたま上手くいっただけです。確実性の高い方法を取った方が最終的なGPAは高くなると思います。
授業に出るより本を読んだ方が効率よく情報を吸収できる。それでも授業に出ないといけないのか?
→成績を取ることと学問を学ぶことは分けて考えるべきだと思います。すなわち、成績を完全に無視して良いならば、授業を受けるよりも、その時間に本を読んでいた方がはるかに勉強になるというケースもあり得ると思います。しかし、成績を取るのであれば、授業に出た方が良いでしょう。
GPAが低い私はダメ人間なのだろうか?
→私は、大学生が高いGPAを取らなければならないと思ったことはないですし、授業に出なければならないと思ったこともありません。また、前述のようにGPAは学問の理解度にも密接には結びついていないと思います。ただ、何らかの理由で成績表の数字が必要になる人がいて、そういう人はそのためにある程度の労力を費やす必要があるというだけのことだと思っています。むしろ、成績を取る明確なメリットがないならば、資格試験の勉強や就活などの優先順位が高い課題にリソースを割くべきだと考えています。
結語
ロイコクロリディウムという生き物が居ます。この生き物は寄生虫で、カタツムリに寄生して鳥に食べられ、その鳥の腸内で卵を産み、その卵が含まれる鳥の糞を食べたカタツムリに寄生し...というサイクルを繰り返します。しかしその他力本願な循環は決して安定的なものではなく、宿主が先に命を落とした場合、ロイコクロリディウムも一緒に死んでしまいます。
さて、話は変わりますが、大学生という生き物がいます。この生き物は、友人に代返を頼み、先輩のノートを借りて試験勉強をし、宿主が単位を落とせば一緒に落単し...というのは冗談ですが、他人に頼ることに長けている者もいます。もちろんそれは、社会で生きていくうえで重要なスキルであり、学生生活を通じてそうした能力を鍛えようという考えも一理あると思います。
しかし、学問というのは本来、自分で道を切り拓く知性につながるものであり、大学の授業はそれを獲得するチャンスでもあると思います。つまり、大学の授業は、他人を頼る力を伸ばすことにも、自立する力を伸ばすことにも活用できるわけです。
この記事が、どちらの立場の人のために書かれたのかは、あえて明言するまでもないでしょう。この記事から何か得るものがあれば幸いです。